”任侠道(NINKYOUDOU)”と呼ばれた”強き男の生き方像”が日本にはある。日本、江戸時代。このころより、他人を思いやり、困っている人や苦しんでいる人を放っておく事ができず、弱者を助けるために自らの体を張ってでも、正義を貫く男の精神美学のことである。現在、日本に存在する暴力団や、世界に存在するギャングやマフィアに例えられる様な反社会的な”強き男像”は、立場の弱き庶民(一般市民)への暴力や恐喝での資金獲得など、圧力をかけるようなイメージがあるが、”任侠”とは、そうした男達の元となる組織ではあるが、精神や活動は、対極のものとなっているという悲しい現実があるようにおもう。 その”任侠”を重んじた当時(江戸時代~明治時代が中心)、団体の頂点に立ち、構成する仲間をまとめ上げ、対外的なやり取りのリーダーとなる人物を”組長(KUMICHO)と呼ぶ。
この作品を”組長”というタイトルにしたのは、そうした任侠道的リーダーに居てほしい、象徴的な存在が、今の日々や時代に存在してほしいという願望からだ。日本は、世界で唯一の被爆国であり、2011年3月に被害を受けた地震や津波などの自然災害。そして、人災と言うべき原子力発電所の崩壊で起こった放射能汚染。世界では、異常気象による突発的な大きなハリケーンやいろいろな災害や、終わらない戦争やテロ攻撃。世界中がそうした脅威の中にあり、日々を生き抜いていく人々の気力は日々衰え、未来を見失ってしまいそうになるほど悲しいニュースも終わりがない。 そして、中でも、作者自身が体感することになった311の地震や津波の際、それまでの人生の価値観や生き方そのものがひっくり返され、怒りと哀しみを何処にもぶつける事のできない生まれてはじめての衝撃を味わって以来、そうしたすべてを失った中でも、”立ち続ける” という希望が欲しいと感じたからに他ならない。どんな事にも心折れず、多くの哀しみや苦しみを背負い、仲間や大切に想う人の変わりに責任をとり、凛々しく立つテーマのこの作品を見て、なにかしらの希望を少しでも味わって”明日を生きよう。”と一人でも多くの人に感じてもらいたいというメッセージがどうしても表現したかったのだ。
全身を極める刺青は忍耐の証、無表情で悲しげな瞳は、多くの過去を背負い、任侠(現代のやくざ(YAKUZA))の世界で、仲裁に入り、対立するもの同士の和解などの際に誠意を見せるために自発的に手の指を刃物で切り落とす行為”指詰め”された前足は、任侠の極みと言える形。何事にも恐れず立ち続けるこの強靭な犬は、日本でもっとも体が大きく、古くから闘犬として存在する”土佐犬”をモデルとしている。そして、刺青の中に咲く菊は、世界で共通の死を悼み贈る花。その死の表現は、背中に存在する”弁慶(BENKEI)”という日本で実在した歴史的人物の生き様、死に様に向けたものである。”弁慶”は、幼少の頃から乱暴者で、やがて京(現在で言う都心)で、人を襲って1000本の刀を奪うという悲願を掲げ、暴れる日々を過ごしたと言われ、999本まできて、最後の1本というところで、牛若丸(源 義経:日本 平安時代(~1185年頃)末期の武将)に決闘を挑み、返り討ちに遭い、その後は、一生、彼の家来として仕えたとされている。その”弁慶”の死に際は、忠誠を誓った義経(牛若丸は若い時の呼び名)を狙った兵の軍を怪力で次々と倒したが、ついには、無数の矢を全身に受ける。それでも、立ち続け義経を守るという気持ちは折れる事なく、最後は、立ったまま死んだという伝説が残されている。 まさに、この”組長(KUMICHO)”の背中にふさわしい意味を込めたものになっている。
折れない強い心。それを持てたらどんなに頼もしいだろう。でも、そういう時ばかりではない。つらくて、苦しくても、乗り越えなくてはならない時がある。そんな時、組長のように堂々と胸をはって…
2011年。日本に生まれ、学校の教科書で戦争を学んだ我々の世代。生活の環境が変わる事無く誕生して30数年が経ち、自分たちの居る社会が混乱する争いや災害は特になく、戦車や戦闘機や銃撃戦などは、自分達の周りではなく、どこかで起こっている…世界の遠い国での事。と思って生きてきた気がする。そんな我々の世代が、生まれて初めて、目の前の社会が混乱し、数多くの人が家や家族を失い、国家の機能は狂い、まさに、地獄絵図が現実のものとなった…3月11日。北日本で起こった”東北地方太平洋沖地震”。地震の大きさを示す”マグニチュードは、9.0。観測史上最大で、世界中でみても、ここ100年で4番目に大きな地震であったと記されている。これほど大きな心の痛みを感じる事は初めてで、 NY Timesなどが報じたありのままの報道写真をみて、涙が止まらない。これは、恥ずかしい事なのかは解らないが、、、その後、世界で起こる災害や争いをニュースなどで目にしても、明らかに地震前とは感情が違う。被害を受けた者の位置から見聞きできるようになったのだろう。残りの人生の中で、もう二度と体感したくはない感情が、時が経った今でも忘れる事ができない。
お解りの通り、作品は、311を追悼する気持ち、そして、体感したからこそ解る哀しみや苦しみを、同じく心悼める世界中の人々に向けた”励まし”と”勇気づけ”を形にしたものである。
2羽の鶴が天空を見つめ、何か、だれかと話をしている様に見えた。この鶴のビジュアルは、日本人には、なじみ深いもので、2007年まで、日本の紙幣に描かれたものである。元を辿れば、鶴の生息する日本は、北海道で、写真家の方が撮ったものを日本の紙幣に採用したものだという。この作品を描いた後、この世に残された者へ何かを伝えようとする鶴。金銀の雲の中で、なんと叫んでいるのだろうか。どんなことを伝えたかったんだろうか。そんなことを描きながら自問自答してみた。こうした悼みを乗り越えなくては、生かされた義務が果たせないのではないだろうか… 日々、この絵を見る度に、そう思い、また、そう感じてほしい。ただただ、この描いた鶴の様に、上を向いて、今にも羽ばたこうという日々を平穏に過ごせるだけでありがたいことだ。
世界中が、あたたかい平和に包まれます様に。
KIKUSOU【菊葬】
溢れんばかりの花のモチーフは、世界中で愛される特別な花”菊”を描いたものである。 何が特別かというと、ヨーロッパ諸国にはじまったとされ、世界中で葬儀や墓参りに献花として用いられる花である点である。我々の国でも、人の死と向き合う時、必ず菊の花がそこには存在する。 多くの人にとって、最後に捧げる特別な花なのである。もちろん、大切な人がいなくなるのは寂しくて悲しい。誰もが最後はこの花で世を去る。 我々は、いつかこの花に見送られるのだろう。 そうなった時、自分は、現世をどう見守れるのか?愛する人を見守る事ができるのだろうか? これは、生まれる国や地域の考えや習慣で大きく変わる。生きてる者が考える形はさまざまで、信仰する教えで死後の世界は数多く考えられる。 ただ、それは、生きている者が想う創造でしかない。 自分が菊の花に見送られ、その後、どうなるのか? あの鮮やかな色彩の菊の花。これまで一緒に過ごした人々は集い、私の話を皆でするのだろう…
この作品は、そんな自分が死を迎え、現世から見送られる際の想像を作品にした。 想像する。それは、哀しみではなく、昔話にはなを咲かせ、何年も会っていなかった仲間と再会し、忙しい毎日の中に突然起こる安らぎの意味ある時間になったら、死んだ者として嬉しい事だ。 自分が死んだ状況から周りの事を想像するのは、難しいが、小さな願望はある。それは、贈ってもらった多くの菊の花の隙間から、自分の人生に関わってくれた愛すべく人々を、そっと覗いてその様子を見ていたい。悲しみもあるかもしれないが、笑っていてほしい。 この答えは、いずれ解るだろうが。